HOME > 武禅館空手の歴史

武禅館の年表

2010年8月 新日本兵法武禅館の名称で名古屋市緑区に創設。着衣型総合格闘技、古流柔術、鹿島の剣を指導。
2011年1月 自身のバックボーンである極真空手の技術を活かし、空手指導を追加。それまでは自分ごときが空手を標榜するなんてと消極的であった。
2011年4月 日本武術教育振興会 総合空手道武禅館へと改称。
  〃   着衣型総合格闘技は一般生徒にハードルが高く上級者のみの挑戦と定め、まだ顔面攻撃が組み込まれた試合が少ない時代の為、顔面なしのフルコンタクト競技に挑戦。
2012年頃 硬式空手に挑戦。
2013年頃 キックボクシング、グローブ空手に挑戦。
2014年頃 寸止めの伝統派空手を学び、武禅館のカリキュラムに取り入れる。
  〃   形(かた)稽古が正式存在しなかった武禅館に和道流の形を取り入れる。
  〃  武禅館天白支部坂本道場設立。支部長に坂本昌幸氏。
2015年頃 極真空手、伝統派空手、キックボクシングの技術を融和させ、体系化。技術移行をスムーズにする為に、伝統空手のカリキュラムをメインピックアップ。
2016年頃 岐阜県可児市に支部創設。支部と名乗るも館長が管理。
2017年頃 着衣型総合格闘技形式の空手、禅道会の全日本大会、地方大会に挑戦し始める。
  〃   可児道場を多治見市に移転。
2018年頃 伝統派空手競技の全空連JAPAN GAMEで形の部準優勝、組手3位の一般生徒輩出。
2019年頃 MMA団体DEEPにて館長含む優秀選手賞2名、館長アマパンクラス全日本決勝進出。
  〃   禅道会全日本決勝1R15秒で館長KO負けし、その反省からブラジリアン柔術を学ぶ。
  〃   正道会館カラテplusが発足し、一般公開され他流第一号として挑戦。その後継続挑戦。
2020年頃 内弟子として小林龍輝入門、準内弟子として丹晴貴登録。
  〃   警官2名に剣術切紙(段位)を伝授。自身が難病を背負ったこと、未熟さを痛感したことをキッカケに以降、剣術指導を封印。
  〃  多治見市宝町に常設道場2件目を設立。多治見支部から多治見本部へ改称。名古屋本部は名古屋総本部へと改称。
2021年頃 丹晴貴、アマDEEP全日本、アマパンクラス東海などで好成績を残し、ALIVEへ移籍。
  〃  館長が正道会館adidasGrand Prixカラテplusにて予選を勝ち決勝トーナメント進出。正道会館四連覇の伊藤蓮選手と対戦し、今もカラテplusに残る失神KO負け。
  〃  カラテplusスポーツが一般普及し、武禅館少年部が数多くが入賞常連者となる。
  〃  館長の著書「道場経営入門」がAmazon、ヤフーブックなどでベストセラーとなる。
  〃  MMA大手修斗の認定GYMとなる。
  〃  天白支部長坂本昌幸氏のご子息で、武禅館生の坂本陽斗がボディビルで七冠を成し、オリンピック委員会より有望選手認定を受ける。
2022年頃 内弟子小林龍輝と共にに数多くの出稽古を経験し、多くのチャンピオン、レジェンド達とスパーリング相手をお願いした。青谷秋未選手、大輝選手、菊野克紀先生、松本勇三先生。レジェンド達とのスパーリング経験を咀嚼し、小林龍輝と共に武禅館スタイルを確立。現在の形が出来上る。伝統派空手技術から実質卒業を成し、自他共に認めるオリジナルスタイルの原型が完成。
2022年4月 小林龍輝内弟子期間終了、初段認定。
  〃   武禅館徳重分支部設立。支部長に谷口貴寿氏。
2023年9月 愛岐カップ空手道チャレンジ大会主催
  〃   館長の先祖宮崎丹下、今村百八郎の調査、秋月乱に関する歴史小説の執筆を始める。
2023年12月 お世話になっている正道会館河邊先生のお誘いを受け、ISKAキックに挑戦。

武禅館の理念背景

館長小池一也はまず幼少の頃、沖縄からの移住した先生に青空教室のように剛柔流を手ほどきを受けました。
その頃の自身の実力は定かではないですが、少なくとも技術基盤はここでできたと思います。

物心がつき、自信が貧困、ネグレクト、イジメなどの環境に置かれていることに気付き、「ここから抜け出したい」と強く思うようになりました。

偶然、図書館で手に取った故大山倍達著の極真空手入門、テレビで目にしたK-1グランプリで活躍する故アンディ・フグ(極真会館→正道会館に移籍した経緯がある)に強い衝撃を受け、極真空手(松井館長)の門を叩きました。
そこから本格的な修行が始まりました。
平成初期は、昭和の気風も残り、月謝を融通してもらい、先生に感謝しております。

稽古前には必ず拳立て500回、スクワット1000回を自身に義務付け、ランニングは10㎞を日課にし、時に神社の木に向かい、拳の皮が破れ切るまで正拳突きを打ち込んだものです。
愛知東南知多支部の内弟子として、支部長の手伝いをしながら修行に励んだ時期もありました。
鈴木雅弘分支部長の直弟子として極真魂の英才教育を受けたことから、「空手は、いつ、どこでも、誰とでも戦っても負けない」という実戦観が根底にあります。
退館しても尚、私は極真魂を受け継いでいるという自負はあります。

当館館長を始め、多くの武禅館道場生がフルコンタクト、ポイント制、キック、MMAと様々な格闘競技に挑戦していたのも、ここに理由があります。
この姿こそ、本物の空手であるという自負があります。

そうした成果もあってか、まず地方中学生大会で優勝をしました。
私は全校集会で表彰してもらおうと考え、学校に提出しましたが、「表彰できない」と却下を受けました。
しかし、「全日本で結果を出せば」と前向きに考え、努力しました。

後に全日本青少年高校の部で準優勝ができました。
後に横浜流星さんや神童・那須川天心選手を輩出した空手修行に励む青少年達の最大のイベントです。

出身中学にはインターハイ出場を果たした先輩達の写真や賞状が飾られていました。
私も母校に錦を飾ろうと賞状を持ち込みましたが、やはり「表彰できない」と却下を受けました。当時は教育現場も純粋に努力した子供を評価するというよりは、どの派閥、連盟に所属しているかが重要だった時代でした。

その時の悔しさがあったからこそ、私は子供達の為に考えるようになったのかもしれません。
この思いがあるからこそ、武禅館は教育委員会の後援や共催を頂くことにこだわって、大会運営をしているのかもしれません。


空手という寛容性を人々に伝えたい。

過去、K1と共にPRIDEという総合格闘技が流行していました。
今で言うMMAの原型となるものです。

空手は武術、護身術であり、例え大人数、武器所持の相手であっても戦えなければ意味がないと考えており、伝統派空手、極真空手、勇三空手を始め、キックボクシング、意拳、鹿島神流剣術、古流柔術、合気道、ブラジリアン柔術と古今東西、様々な武術を学びました。

その後、自身の理想、空手の本流を求めるべく生徒ゼロから独立し、今に至ります。
ほぼ全てのジャンルの空手試合、パンクラス、DEEP、禅道会とMMAにも挑戦し、多く決勝や準決勝まで上り、実力が遠く及ばずとも、多くの有名チャンピオンと対戦させて頂いたのは、私の誇りです。

昨今、競技空手が主流になり、人々は”武術”という言葉に意味を忘れています。
先人の残した武術とは何か、歴史とは何か、何を想いこの武術が生まれたのか、そんな想いと主にあるのが武術です。

空手は沖縄と中国の技術が合わさり、日本の知恵が加わって現代空手の原型ができました。
そして、中東、欧米と様々な人種が競い合う中で更なる技術発展を遂げました。
被併合側の琉球という国で始まった武術、決して戦勝側とは言えない国の武術がここまで世界的に広まったのは世界でも珍しいものです。
それは空手の持つ寛容性の成せる業です。

空手とは寛容性であり、平和の種。
SDGsの時代だからこそ、今一度、空手という歴史に触れてはいかがでしょうか。



 

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